【メフィストフェレスの肖像】WHO KILLS DEMON?~誰が悪魔を亡きものにするのか~

何気なく聞いていて、ドキッとそれまでしていた事の手が止まる。
それくらい、切なくて、哀しくて、でも何も出来ない。でも・・・。



私が若い頃の話。
付き合っていた彼氏が、職場で孤立していた。
イジメとかではなく、組織にありがちな包囲網。
頑張った分だけ、嫉妬や恨みをかっていたらしく、
スムースに仕事が出来ない状況になっていた。

私にできた事は、そんな彼を見守ることだけ。
男の仕事に女が口を出すべきではないと思っていたし、
実際何かできる訳でもないし。
なので、普段どおりに接していた。
食べたいと言う物を食べさせて、甘えたい時には甘えさせて。
そうすることしかできない、という事自体が寂しかったけど、
彼もそんな私の気持ちをわかっていたのか、
私の前ではいつも笑っていた。

彼は毎日立ち向かっていた。
私は毎日その後姿を見つめていた。
戦場にむかって剣をかざして走っていくような姿。
胸が締め付けられるほど、苦しく、でも愛しく。

この曲を聞いていると、
そんな戦場の男の孤独な後姿が目に浮かぶ。



悪魔を取りまく、数々の罠や裏切り。
それに敢然と立ち向かっていく姿が描かれているこの曲。

どういう思いがあってこの曲が作られたのかは分からない。
ただ、たとえ分かったとしても、ここで書くべきではないと思う。
「女として、男の真剣な怒りに口を出すべきではない」
そんな昭和の女根性を引っ張り出したくなるほど、
切実さや、真剣な怒りが伝わってくる曲だから。

切り裂くようなギターの音色。
混沌さを表現するかのような、細かいシンセの音。
非常にタイトなリズム。
悲痛と言ってもいいような、
それでいて非常に伸びのあるヴォーカル。
それに被さるようにエフェクターのかかったコーラス。

それらが表現しているのは「怒り」だと思う。
でも、聞いているこちら側が感じるのは、
切なさであり、哀しみであり、
自分は何もできないと言う無力感であり。

女とはバカな生き物だと自ら思う時がある。
それは何かにつけ「○○してあげたい」と思ってしまうこと。
そもそも「してあげる」という発想自体が、おこがましい押し付けであり。
だから、そういう事は自重するのだけど、
自重すればするほど寂しくなってしまう。
相手はこんなに苦しんでいるのだから、何か「してあげたい」
でも、しちゃいけない。だから切ない。哀しい。無力感。
・・・ね、バカでしょ。だから女らしいとも言えるのだけど。

そんな女としてのバカさ加減が、この曲に対して
切なさや哀しみや無力感という感想を無駄に増幅させてしまう。

男になって聞いてみたい。
女というフィルターを取って、聞き込んでみたい。
どんな感想になるんだろう。何を感じ取るのだろう。
そんな気持ちになる曲。


因みに、この曲の閣下のヴォーカルは、
聖飢魔IIの曲の中で、私のベスト3に入るくらい気に入っていて。
・・・じゃあ残りのふたつは?とか聞かないで。
あくまでも、イメージとして「ベスト3に入る」という感じ。
それくらい、力強く、伸びやかに、鋭く心に響く。



因みに、前述の彼は戦いきり、新しい道が開け。
ああ良かったと安堵して暫く付き合っていたけど、
結局、まったく別の理由で別れる事になり。
・・・人生って、いやーね。

この記事へのコメント

梟の目
2006年07月28日 01:20
面白いですね。
他人の感性で語られる曲の感想というのは、引っ張り出して歌詞カード見ながら聴きなおしました。
当方男ですが、よくわからない(苦笑
真っ暗闇で一人叫びながらもがいてるような情景が浮びますが・・・

えっと、してあげなければならない時というのもあると思いますよ。
2006年07月28日 18:41
あああ。男性でも良く分からないですか(大汗)
まあ、この曲の持つ独特の孤独感や怒りというのは、男女共通で感じる部分なんでしょうね。

「してあげなければならない時」はしてあげるんですが、私の場合「してあげ過ぎ」になりがちなんです。そこを注意しなきゃ・・・と思いつつも・・・という感じで。
ええ、きっと「悲しい女の性なればばばば」(@超有害行脚)なんだと思います。
ザマス
2019年02月05日 16:11
激しく共感します。この曲は特になんともいえないものがある。わかってくれていた人がいてくれただけで嬉しい。

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