【小教典】悪魔のメリークリスマス(青春編)

いやー。クリスマスイブにこの曲の記事をアップするのは、
ある意味痛快ですな。
ということは、来年のクリスマスイヴは「完結編」の記事かしら。
でも気まぐれに書いているから、
いつアップするかは判んないわよん。



この曲は「青春編」とあり。
もうひとパターンとして「完結編」もあるのですが。
とりあえず今回は「青春編」の記事ということで。

この二つ、歌詞の違いだけでなく、
曲の展開構成も違うんですよね。
あくまでも私個人としての感想としては、
「青春編」の方が「あっさり」
「完結編」の方は、もうとにかくやりきりました、
これでもか、どうだ、という「こってり」
勿論、優劣をつける物ではなく、どちらもいい味。



作詞:デーモン小暮、作曲:ルーク篁、編曲:松崎雄一

曲は参謀らしいメロディアスなバラード。
歌詞が恋愛をテーマにしたものだったら、
編曲がもっとメロディアスだったら、
きっと綺麗なラブバラードに仕上がった所でしょうが、
そこは聖飢魔II。きっちり悪魔の世界観がある、
痛烈な曲に仕上がっていると感じられます。

曲の冒頭の殿下のドラムが好きなんですよ。
きれいなピアノの旋律に、うっとりする間もなく、
だん、だん、だん、だん!って入って来る、あれ。
特別なテクニックもない、普通のリズムどりなんですが、
「緊張と緩和」のような効果があってドキッとさせられるんです。
で、また綺麗なピアノの旋律・・・だん、だん、だん!

更に間奏の泣きのギター。参謀かな、これは。
曲の終盤でのコーラスの美しさといい、
荘厳さと郷愁感がありつつ、恐怖と力強さがある、
非常に分厚さのある仕上がりになっているのでは。



歌詞にはクリスマスに浮かれている若者に鉄槌を打ち込むような、
閣下らしい痛烈さを感じられます。

子供ならともかく、いい歳した大人までもがクリスマスに浮かれていて。
それも、ただパーティしたり日ごろの感謝にプレゼントを、ならまだしも、
なんかもう「えっち」するのが目的、みたいな日になっちゃてて。
私が中学・高校くらいまではそんな習慣はなかったような気が。
こういう風潮になってきたのはバブルの時期くらいからかな。

マスコミとかも煽りだしたんですよね、この時期に。
で、山下達郎さんとか松任谷由美さんの
クリスマスソングとかも流行って、
「クリスマスは恋人と過ごすもの」という概念が出来上がって。

その浮かれ気分をぶち壊す、悪魔の歌詞。
クリスマスデートを楽しむ若者に鉄槌を打ち込むこの歌詞は、
勿論内容的には納得で激しく同意する物なんですが・・・
四捨五入40歳のおばちゃんには「それもまた若いな」と、
僭越ながら思ってしまうわけですが(ごめんなさぁい)
だって・・・この曲が作られたのって閣下が10万34歳ごろ・・・?
うーん。若い。(←10万30過ぎに向かって「若い」とは何事)

別に閣下をけなしているんではなくて。
もうね、四捨五入40歳ともなると、
こういう若い人の世相を斬る、という発想自体、
「若い」と思えてきちゃうほど老化しているんですよ(汗)
「まあまあ、もう若い人は若い人に任せて、私たちはお茶でも飲みましょう」
と言いたくなるような・・・
いかんな。四捨五入40歳にしては老け込みすぎかしら。

おそらく、10代20代の人がこの詞を読むと、
痛烈な皮肉に感じられるのではないでしょうか。
そして強烈さと共に、目を覚まされるような感じで、
心に響くのではないかと。

そういう意味では、この曲はオンタイムで聴きたかったです。
この曲が発布された頃、私はまだ四捨五入30歳。
今とはもう少し違った観点でこの曲を聴けたのではないかと。
もっと深く傾倒できたのではないかと。
・・・と、お茶を啜りながら思ってしまうのです(泣)



私の叔母はプロテスタント、兄嫁の実家がカトリックと、
敬虔(けいけん)なクリスチャンが身近にいるのですが。
彼らはクリスマスだからって、浮かれていないんですよね。
キリスト教徒だからこそ、真摯にクリスマスと対峙しているというか、
大切な日として過ごしてるという感じで。

結局、キリスト教徒でもなんでもない人が、
わーい!というノリだけで、クリスマスが何の日かも知らずに、
盛り上がっているような感じ。

・・・時事ネタだけど、昨今の朝青龍問題とか、亀田問題とか。
似たような物を感じますな。
相撲やボクシングを見ている人ほど冷静にしているのに、
普段は興味もないし、別にどうでもいいはずの人ほど、
やたら盛り上がるところ。
挙句、自分には無関係なのに「許せない」とまで言い切れてしまうって一体。
「嫌いになった」「興味なくなった」なら判るけど、
「許せない」という感情が出てくるのが理解できない。
彼らが自分に何をしたというのか。彼らが何をすれば「許す」というのか。
(脱線気味なので閑話休題)

いろんな情報が溢れる中で、
飼いならされ、踊らされ、操られる。
それは、飼いならし、躍らせ、操る方が悪いのか、
飼いならされ、踊らされ、操られる方が悪いのか。

・・・どっちもどっち、かなぁ。

この曲は、そういう世相そのものを斬っている曲だと感じるのです。
そして、自分自身も飼いならされたり、踊らされたり、操られないように、
自己を確立させて、意思をもって事象と対峙したいと思えてくるのです。
・・・なかなか出来ないんだけどね。実際は。
でもまあ、気をつけなくちゃと常に心に留めながら。

身近にクリスマスパーティをして浮かれている人がいたら、
「なんで25日のクリスマスではなく、24日のイヴを祝っているの?」
と聞いてみましょう。
イヴを祝う理由を判った上で浮かれているなら、
それはそれでいいんじゃないかと思う私です。
理由を知らずに飼いならされ、踊らされ、操られて、浮かれているだけなら、
この曲を聴かせて、天誅食らわしてやりましょう(笑)

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