【ライブレポ】地獄変・私なりの解釈

小学校の遠足で先生から「家に帰るまでが遠足」とよく言われましたが。
いまの私にとって「レポ記事を書き終えるまでがライブ」という感じ。
ええ、まだ終わってませんよ。むしろ、まだまだ楽しめる。
邦楽維新Collaborationは一粒で二度美味しい、グリコアーモンドチョコレート。
私の芥川龍之介の作品との出会い、及び「地獄変」について書き垂れてみました。



【お断り・ご注意】

・以下の文章には、芥川龍之介の作品の内容・結末に至る記述があります(ネタバレ)
・私の個人的な見解であり、批評・寸評などを目的とはしておりません。



私が初めて読んだ芥川作品は「トロッコ」
記憶が曖昧なんだけど、たしか小学校の国語の教科書に載っていたのです。
(今は中学校で習うみたい。でもたしか私は小学校だったと・・・)

鉄道建設用のトロッコに憧れた少年が、
お手伝いをしてトロッコに乗せてもらっているうちに日が暮れて、
どんどん暗くなり、恐怖を感じながら家に走って帰る。

ただそれだけの短編小説なんだけど、
子供だった私にはその迫ってくる暗闇、どうしようも無い恐怖感が、
とてもリアルに「見えてくる」作品で夢中になりました。

それまでは椋鳩十とか、いわゆる「児童文学」みたいなのを読んでいたのだけど、
「トロッコ」はそんな私を「大人の小説」へと橋渡しをする、
ちょうど良い難易度の作品だったとも言えるでしょう。

その後「杜子春」「蜘蛛の糸」「鼻」とメジャーどころから読みあさり、
中学生の頃には、本屋や図書館等にある、当時の私にとって手の届く作品は、
全部読み尽くしてしまうほど芥川作品にハマりました。



独特の不気味さ。
それが私にとっての、芥川作品の魅力のひとつ。

芥川作品は「宇治拾遺物語」や「今昔物語」を基にした物が多く、
おどろおどろしさや、不気味さというのがそのまま、いやむしろ増幅され、
現代社会とはかけ離れた、浮世離れした世界観を作り上げているのです。

・・・普通なら「お姫様」とか「ラブロマンス」に夢中になる年頃なのにね(汗)

その世界観がただ怖いだけのものではなく、
どこか気高く、美しく、儚く、ちょっと滑稽なものと感じられるのと、
何とおりにも解釈が出来るストーリーの緻密さが面白く感じられたのです。

ちなみにこの「不気味さ好き」が高じたのか、
後に成人してからも「陰陽師/夢枕獏」にハマる私。
当時大阪に住んでいたので、阿倍野区の「安倍晴明神社」まで行きました・・・
閑話休題。

そんな私がこんな40の坂をガシガシ登る歳になって、
悪魔の手によって、芥川作品にも「出戻り」をさせられるとは(笑)



今まで閣下が朗読された芥川作品は、
  ・袈裟と盛遠(見る機会を逸しました)
  ・蜘蛛の糸:英語版(テレビで見ました)
  ・藪の中(羅城の巻で見ました)

芥川作品以外の閣下の朗読された作品を見ても思うんですが。
閣下の朗読にはこういう「不気味」なのが似合う。
中島敦の「山月記」谷崎潤一郎の「春琴抄」小泉八雲の「耳なし芳一」など、
一種独特の陰鬱な世界が「悪魔」という存在とマッチすると思っています。

「地獄変」は、高校の教科書でも出てくるメジャー作品。
客を飽きさせないよう、朗読を楽しめるように配慮されたのではないかと。
そういう意味で言えば、今回邦楽維新Collaboration10周年記念として、
芥川龍之介の「地獄変」を上演したのは、当然・必然とすら感じられる、
10周年に相応しい作品だと思います。



「地獄変」のあらすじはwikiを参照ください。
(長文癖の私がまとめるより、既にまとめられたものをご紹介します 汗)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%8D%84%E5%A4%89

でも、なんどもこのブログで書いていますが、原作を読んだほうがいいです。
著作権の消滅した作品を書き起こし「電子図書館」として運営されている、
青空文庫http://www.aozora.gr.jp/で無料で読むこともできます。
●芥川龍之介 地獄変 http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/60_15129.html

もちろん、注釈や解説も書かれている書籍で読むのが一番いいと思います。

地獄変・偸盗 (新潮文庫)
新潮社
芥川 龍之介


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ストーリーそのものよりも、その世界観を味わう。
芥川作品の醍醐味は、そこにあると思いますから。



そんな素晴らしい作品「地獄変」なのですが。
今回の閣下の朗読において、個人的にはちょっとだけ
「この物語の私と閣下の解釈の相違点」を感じました。
もちろん不満とかではなく、その違いがむしろ面白く感じたのです。

今回の朗読は、物語の前半部分は登場人物の紹介、
後半は原作の文章に比較的忠実な朗読、というスタイルだったのですが。
前半を略したことで、良秀の娘と猿の出会いのシーンが、
ちょっと省略されてしまったのです。

大殿の息子の若殿(多分年端も行かない子供)が猿をいじめている所に通りかかる、
文を結んだ梅の枝を掲げ持った紫匂の袿(紫のグラデーションの重ね着)の良秀の娘。
その袖をそっと開いて猿をかばう・・・
そのなんとも優しげな風景が、非常に印象的で好きなシーンなんです。

これは多分、性差のせいだと思います。
私が女だからだと思うのですが、こういう女性の仕草に憧れるのです(笑)
「恐れながら畜生でございます。どうかご勘弁遊ばしまし」
ああ、平安の美しい宮中が見えてくる。娘の優しい心根が見えてくる。

そして物語の終盤、燃える車の中で苦しむ娘に駆け寄る猿。
残酷な場面なのですが、女性的な目線で見ると、ある種の「悲恋」に見えるんですね。
その伏線でもある、娘と猿の出会いのシーンの最初の場面は、
ああもうちょっと聞きたかったなぁ・・・とは思ったのです。

もちろんこれは、閣下批判じゃないですよ(笑)
男性の閣下としては、娘と猿の出会いのシーンは演じにくいでしょう。
それよりも、大殿と良秀の「車を燃やす相談」や「車に火を放つ」場面などの、
恐ろしいシーンに重点を置かれた演出を考えられたんだと思います。

つまり、女性の私は「娘と猿の悲劇」をメインに、
男性の閣下は「大殿と良秀のやりとり」をメインに、
この物語を解釈していたのではないかなと、閣下の朗読を聴きながら感じました。
もちろん、どっちが正しいとか、ダメだとか、そういう問題ではありませんよ。

いろんな見方があるなぁ、と面白く感じましたし、
なによりも、閣下から見た「地獄変」の景色を垣間見られたのが嬉しいのです。



公演中、閣下達もステージであれこれと話されていたのは、
12段から13段あたりの「娘が何かに怯えて部屋から出てきた」シーン。

以下はあくまでも私の解釈・想像です。
娘は、大殿にも良秀にも手込めにされてしまった(されかけた)
のではないかと思っています。

娘は、猿を助けたことで大殿に可愛がられるようになったのに、
良英が地獄絵図を書き始めてどんどん暗くなっていった。
それはその頃娘が、大殿の寵愛を受けざるをえない状況になったのではないかと。
それを察した良秀が、娘への溺愛と、大殿の元に差し出す嫉妬で、
わが娘に手を出そうとし、でも良心の呵責・近親相姦自体により、
良秀自身が悪夢にうなされていたのではないかと思うのです。

なぜそう思うかというと、最後のシーンで娘が鎖で縛られ車に乗っていて、
御簾が開いて父親の姿を見つけたのなら、父親に命乞いをするものでしょう。
でも信頼していた大殿にも父親にも裏切られ、生きる事をあきらめてしまって、
ただ悲しそうにしていただけなのではないかと。
ただ猿だけが、娘の事を命の恩人として、娘の事を大事に思って、
火の中ですら飛び込んでいったのではないかと。

さらに。
先の猿と娘の出会いのシーンで、娘は「御文を結んだ寒紅梅の枝」を持っている。
猿をかばうときも「片手に梅の枝をかざしたまま」なんですね。
平安時代の習慣で言えば、文に花を添えているのは、恋文では・・・
そして猿をかばうにも枝をおろさなかったのは、
「身分の高い方」からいただいた物だったからでは・・・

そして。
この物語を語る「私」には、必要以上に大殿をかばう発言が多いのです。
さらに娘が部屋から飛び出してきた時も、
「生得愚かな私には、分かりすぎている程分かっている事のほかは、生憎何一つ飲み込めません」
つまり「分かりすぎていることは分かっている」んですよ。この人は。
「私」の発言のところどころに、不自然さが散りばめられているのです。

・・・もちろん、これはかなり突飛な解釈だと思います(汗)

ただ芥川作品は、閣下も舞台上でされていたように、
読んだ人同士でその解釈を語り合うのが醍醐味とも言えるでしょう。
それくらい、いかようにも解釈出来るように作られていると言っても
過言ではないでしょう。

そんな提案をしたくて、こんな記事を書いてみたのです。



最後に、邦楽維新Collaboration10周年に寄せる思いとして少し書きます。

邦楽維新Collaborationでは、邦楽器と洋楽器の合奏ももちろん楽しみですが、
私は朗読も、毎回ほんとうに楽しみで楽しみで。大好きなんです。

閣下がその作品のタイトルをおっしゃった瞬間、
ガッと景色が変わるんですよ。その物語の世界に入れるんですよ。
そして集中していくうちに、朗読している閣下の姿だけが、
ステージの上でぼうっと浮かんで見える。
その物語の景色が、ステージの向こうに見えてくるのです。

私にはそれが、一種の「閣下主演の演劇」に感じられるのです。
「朗読劇」という言葉があるくらいですから、あながち間違いではないでしょう。
閣下の朗読と、音楽の融合。作り上げられる世界観。
邦楽器だからこそ描き出せる美しさとマッチするんですよ。

時に笑わされ、時に驚かされ、恐怖におののき、心にしみる。
できればもっと長編の作品に挑戦していただきたい・・・
っていうのは、無理なんですかね(汗)

あと、題材は古いものでいいので、
現代作家の作品にも挑戦していただきたいです。
「雨待ちの月」で大化の改新を朗読されましたが、
その原作作家は橋本治さんだったし。
となると、あの方とかあの方とか・・・
ぜひ閣下に挑戦していただきたい現代作家が、
あれこれと浮かんでくるんですけどね。どうなんでしょうか。

ともあれ、10周年を迎えた邦楽維新Collaboration。
プロデューサーの三橋さんから「ライフワークとして今後もやっていく」と、
心強いことをおっしゃっていただき。
素晴らしい文学と邦楽器が、悪魔の魔法で美しく入り混じる世界。

ぜひこんどは、邦楽維新Collaborationで、閣下と二名で芸術大賞を。

そんな贅沢なおねだりを、祝辞・賛辞のかわりに。



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